先ごろ元服しましたわたくしは主君、石田治部少輔三成さまに従い戦に赴きました。
父、兄、叔父に倣い、
わたくしもまた終生三成さまにお仕えし、お役に立つことを心に決めておりましたもので、
ようやっとこの時が来たとわたくしの心は逸っておりました。
いくさは乱戦となりました。
大殿秀吉さまの前線、その一角を担う我が石田三成さまの隊に、
敵将の陣を突き崩すよう下知が下ったのです。
三成さまの指揮のもと、わたくしたちは敵陣に斬り込みました。
その乱戦も数、勢いともに我が方が上回り、陣の制圧まであと少しというところでした。
「御首級、頂戴!」
崩れた陣幕の影から鎧武者が飛び出して来たのです。
三成さまは軽装でした。
身軽であることを良しとし、鎧というようなものはつけておられなかったのです。
「三成さま!」
わたくしは刀を握り、三成さまのお傍へと駆けようとしました。
その時わたくしの目には、
三成さまと三成さまを殺めようとする武者だけがはっきりと見えておりました。
刀を腰に低く構える武者。
武者は三成さまの体を突き、確実に屠る方法を選んだのです。
三成さまは応戦のため、鉄扇を構えられました。
ですが戦経験に乏しいわたくしにはその応戦が間に合うのか、
はたまた三成さまにほかの考えがおありなのか、わかりませんでした。
わたくしは無我夢中で三成さまと敵武者の合間に飛び込みました。
いざとなればわたくしが三成さまの代わりに死ぬる覚悟でした。
「お前!」
背後で三成さまがはじめて驚いたような、狼狽したような声を上げられました。
ですがそれに応える余裕はわたくしにはありません。
とにかく、三成さまを、三成さまを!その一心しかなかったのです。
視界はさらに狭くなりました。
武者の刀が私の腹に迫ります。
防げない、そう頭に閃いたその時でした。
キンと金属がぶつかる高い音がしたのです。
見下ろせば武者の切っ先はわたくしの腹の寸前で止まっていました。
いえ、止められていました。
三成さまの鉄扇が私の腹の前にあったのです。
次の瞬間、鮮やかに開かれたのは赤と白の鉄扇。
わたくしの視界はただそれだけに染まりました。
そののち、ごろりと足元に転がったのは敵武者の首級でした。
斬り落としたのはわたくしでも、また三成さまでもありません。
「殿」
三成さまが返り血を防いだ鉄扇を閉じたその先、
そこには石田家筆頭家老、島左近さまのお姿がありました。
おにの左近さまです。
左近さまは今し方敵武者を屠った大太刀を肩に担ぎながら、顎で向こうの丘を示しました。
もはやそこに敵方の指物ひとつ見当たりません。
「あっちの拠点、頂戴しときましたよ」
「こちらもさして問題なく制圧した」
「さして、ね」
左近さまはわたくしの足元を見遣り、苦笑されました。
「殿」
「なんぞ、いかんかったか」
「ふたつほど」
「おれが下がらなかった」
「ご明察。さて、もうひとつは」
「知らん」
「殿。
ひとつは確かに殿の仰るとおり、斬りかかられたとき、殿が下がらなかったこと。
俺が間に合わなかったら、
斬られるか、刺されるか、組み倒されて首を掻っ切られるか、していましたよ。
殿。
我が主を助けることも出来ず、目の前で殺められていくなど、
家臣の俺にしてみれば、耐え難く、最も恥ずべきことなんです」
お解りになりますか、と左近さまは殊更ゆっくりと三成さまに問われました。
三成さまはもちろんでしょうが、
このわたくしにも左近さまの仰ることがようよう解りました。
左近さまは、家臣という言葉の端に、
不甲斐なくも三成さまに庇われたわたくしを置いてくださったのでしょう。
すると三成さまは僅かに思案されました。
そうしてわたくしに「故郷はいずこか」と仰るのです。
「三成さまのお国、近江にございます」
「左近、聞いたか」
「殿」
このときの左近さまには三成さまの言わんとすることがもう解っていたのでしょう。
諌めるような響きの中にも、まるで師父のような寛大さと情け深さがありました。
その左近さまを前にして、三成さまは凛然とした様でこう言われました。
「こやつの故郷は近江だという。おれの国だ。
さすればこやつはおれの家臣であり、おれの国の民でもある。
左近。
我が民を助けることも出来ず、目の前で殺められていくなど、
主のおれには耐え難く、最も恥ずべきことなのだ」
その声は冬の琵琶湖のようにしんとし、夏の川瀬のように涼やかでありながら、
その一言、一語は生涯わたくしの心の臓を掴んでは離さないほど力強いものでした。
こののち、三成さまは戦況を伝えるため自ら秀吉さまの本陣にまで下がられました。
次いで追撃の下知が下ったおり、制圧した陣内で左近さまはわたくしを傍に呼んで、
「聞いたか」と仰いました。
わたくしは、何度も頷きました。聞きました、聞きましたとも、と。
すると、左近さまのお貌はみるみるうちに、
石田家筆頭家老にしておにの左近さまのそれとなり、
そこには石田三成さまというお方を我がことのように誇る喜悦の笑みがありました。
「あのお方が、お前の殿である」
そして、
俺が殿と見込んだお方だ