その光景を目にしたとき、三成はほとほと呆れてしまった。

 思わず足を止めてしまう。

 見て見ぬ振りもできただろう。

 だがしなかった。そもそもそういうことができる性分ではないのだ。

 加えて臆することを知らない口をついて言葉がすらすらと出る。それも強く。

「おねねさま」

 三成の立つ濡れ縁、その下、屋敷の庭に腰を屈める北の方の姿があった。

 どうやら草取りをしているらしい。

「なぜそのようなことをなさっているのです」

「おや三成、来てたんだね」
 
 ねねは三成に気がつくとひょいと身軽に立ち上がった。

 三成は再び呆れた。どうもこのお方さまとはうまく話ができない。

「おねねさま、そうではなく」

「ほら、このごろ暑くて草が伸びてきただろう」

「はあ」

 庭には緑も濃く草が伸びている。

「だから夏になる前に、一度くらい草取りをしようかと思ってね」

 そう言ってねねは泥のついた手で額の汗を拭った。

 その手には草で切ったのかいくつか細かな傷がある。

 けれどもその足下には刈った草が丁寧に積まれていた。

 きっと夏を前に手折られ絶える命を知らず知らずいたわっているのだろう。このお方は。

「だからと言って」

 三成は顔をしかめた。

「おねねさまがなさることではないでしょう。北の方さまとしてもすこしご自覚あそばせ」

 三成がそう言うと、しかし、ねねははつらつとした笑顔になった。

「いいんだよ、三成。みんな自分のやるべきことがあるでしょう。

 それにね、こういうのは気付いた人がやらなくちゃね」

 ああ、このお人はまるで夏のようだと三成は思った。

 とびきりの夏の人なのだ。

 かんかんとあつく、夕立となれば激しく、雨雲過ぎればからりとまた眩しい。

 そうしてこのあつさの下でこそ、夕立の下でこそ、眩しさの下でこそ、

 田畑は育ち、木々は青々と繁り、虫たちは今が現と盛んに飛び立って鳴くのだ。

「さあさ、三成」

 ねねはまた屈んで草を取り始めた。ぱさっぱさっと草が重ねられていく。

「あなたも忙しいんでしょう」

 三成は両腕に検地帳を抱えていた。ぐっと重い。

 三成は俯く。

 横たえられた草があった。そこからまだ来ぬ夏のにおいが濃く漂っている。

「おねねさまにも」

「うん?」

「おねねさまにもほかにやることがあるでしょうに」

 とにかく草取りなどは今すぐにやめてほしい。

 せっかくもうそのようなことをせずともよいようになったというのに。

 汗と泥にまみれ、着物を汚さずともよいようになったというのに。

 天下人のお方さまらしく平穏に暮らし、その手に傷など作らないでほしい。

 三成はそう言っているのだ。ねねにはちゃあんと聞こえていた。

 ねねがぱっと輝く。

「三成は、いいい子だね」

 すると三成がそっぽを向く。

「何故そうなるのか、理解できません」

 そうしてそのまま検地帳を抱えて廊下を渡って行ってしまった。

 だがまたすぐに戻って来る。

 数冊の検地帳の代わりに手にしていた草履を庭に落とし、それをつっかけ、

 襷で袖を縛って、ねねから少し離れてしゃがむ。

「三成。いいのかい?」

 ねねは背を向けて黙々と草を抜き始めた三成に訊ねた。

 三成は振り返らない。

「わたしは帳面を運ぶ途中だっただけです。

 運び終えたので、今は、取り立ててやらねばならぬことは、その、」

 ありません、と言った声は憮然として小さく不機嫌だった。

 しかし草を引く手を休めることはない。

「三成は本当にいい子だね」

 見て見ぬ振りができない性分も、誰かに頼むことなく自らせねばと素直に気負うところも、

 この気難しい若者の善良さであるとねねは思う。

「おねねさま」

 草を引きながら三成はぶすっと言った。

「もう子どもではありません。やめて頂けませんか。

 あと、北の方さまのなさることを手伝うことは当然なれば、褒めて頂くようなことではありません」

 まったく。とねねは言い、

「仕方のない子だねえ」

 と笑ってくれた。

 ああ、眩しい。三成は思った。



 その夜、三成はひょいと左近に手を取られた。

「夏のにおいがしますね」

 くんと嗅がれ、三成はぱっと手を振り、払う。

 それからその手を翳し、眺めた。

「昼間中、草取りをしていたせいだろう」

 話すと、左近は「天下人のお方さまとその幕僚が一日中草取りとは」とどっと笑ったあと、

 不機嫌にむっつりと黙った三成の顔を背を屈めて覗き込んできた。

「殿。俺は良いにおいだと思いますよ。

 いくさ場のにおいより、墨のにおいより、

 よく肥えた夏の田畑のにおいのほうが、美田といわれる近江を治める殿には相応しい」

「うん」

 だが三成は左近とは少し違うことを想った。

 どうしてか夏の近江で畑仕事に精を出す秀吉とねねを想った。

 日に恵まれ、豊かな緑に囲まれ、実りを約束されたその夏の中で、

 秀吉と、そしてねねが、汗と土のにおいをさせながら懸命に、懸命に、

 それでも笑って、笑って、しあわせに働いている。

 三成は、

「夏は好い」

 と呟いた。

 それからきちんと夏の近江の田畑を思い浮かべて、もう一度「夏は良いな、左近」と言った。

 左近は見て見ぬ振りくらい容易くできるので、あとの言葉を継いでやることにした。

「こうして夏のにおいがあると、今日をまるで夏の日と、思いますな」

 三成はまたうんと頷き、翳した手をひらりと返した。










まるで、なつのひと



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