そのいくさはやはり雨になった。

 音があるほどの雨に今は双方ともに引いている。

 分厚い。左近は思った。

 重苦しい雨雲はこの平原を覆い、山向こうまで途切れるところがない。

 長引くと左近は見た。いくさも、雨も。

 それから敵陣を見遣る。霞んで視界が利かない。僅かに敵影を捉らえられる、その程度。

 斥候を放つか。そう決めたときの左近は早い。

 同時に相手方からの斥候に警戒するため、一隊に陣付近の哨戒に当たらせる。

 そうして左近は足元をじっと見つめた。乾いた土は、雨を機に泥となった。

 足元が悪い。足を取られる。人も馬も早くは走れまい。

 そのうえ辺り一帯の空気もぐっと冷え込んだ。

 体力が落ちる。動きも鈍る。

 だが気は逸り、苛立ち、頭も長考には耐えられない。

 左近はそこで顔を上げた。思案を打ち切る。

 体ごと振り返った。

 そこに石田三成が立っていた。雨に打たれることをかまわず、こちらをじっと見ている。

 一拍おいて、やがて口を開いた。

「こわいことを考えていたな」

 言われて、左近はふと笑った。

 泥を踏んでいた足を二・三度とんとんとして見せる。

「土の具合と雨の様子を見ていただけですよ」

「そうか」

「本当ですよ、殿」

「嘘だとは言っておらん」

「だが殿は俺をお疑いのようだ」

 そう言う左近は相変わらず笑っていた。

 それが三成には不可解なのであろう。

 彼は左近とは違い、こういうときだけこころを素直に顔に出す。

「おれはお前に、こわいことを考えていたかどうかを訊ねたのだ」

「足元が悪い、冷え込みがはげしい、そのようなことを考えていました」

「そうか」

「嘘ではありませんよ」

「本当ではない、嘘である、などとおれは一度として言ってはおらん」

 左近は「そうでしたね」と少し笑ってから、話を変えることにした。

「殿は俺に何か用があったんじゃあないですか」

「あった」

 今度は三成も左近を責めはしなかった。

 本来禅問答を好む人ではない。むしろ実利を好む人だ。

 用とは、一度三成が戦場を引き、そのあいだ左近に石田隊を預けるという話だった。

「この雨で、後詰用の駄荷隊がぐずぐずしているらしい。立て直してくる」

 三成が言うと、左近は腰を折った。

「お気をつけて」

 だが、

「左近」

 去り際、三成は振り返った。

 左近は三成が去るまでは見送ろうと思っていた。

 振り返る所作までゆっくりと見て取れた。

 雨を吸った髪が、陣羽織が、重そうであると今更ながら思う。

「はい、はい、何でしょう」

「やはり、お前はこわいことを考えていた、とおれは思う」

 おれに応えろ、と三成の目が言っていた。

 ゆえ、左近は今度はすんなりと応えた。

「考えておりましたよ」

 だが、ここまでだ。

 左近は三成に言うのはここまでだと決めていた。

 雨に紛れ、敵方の不意をつく。

 泥土に足を取られ、雨に体力を奪われた敵方は逃げ惑い、だが満足に逃げることも出来ず、

 死への恐怖の中で息の根を無残にも止められ、累々と屍をこの地に晒す。

 その様子を克明に、その手段のひとつひとつを、左近は三成に言おうとは思わない。

 石田三成は奉行でいい。

 左近は思う。

 いくさ下手の奉行でいい。

 町を造り、国を整え、そうして近江を耕す人でいい。

 この人の俊才はいくさの為でなく、

 この人が望んでやまない人々が笑って暮らせる世のために生かされるべきだ。

「左近」

 三成は言った。

 石田三成という、本当のところでやさしい人は、

 きっと、たぶん、左近のだんまりを汲み取って尚、まだ家臣を愛でたがる。

「斬り方を考える。こわいことを考える。これは島左近の領分だ。

 だが、斬れと命じるはおれだ。

 そうしてお前がこわいことを考えている、それを知っておくこともおれの領分だとは思わんか」

 そう言いおいて三成は去った。

 そう言い置ける三成であるからこそ、このいくさを、この長雨を引き受ける価値がある。

 左近は「あとで何かあたたかいものを届けさせるとしますかね」などと大太刀を担ぎながら、

 こちらはなかなか汲み取ってはもらえない島左近のもうひとつの領分についても幸福に思案した。










石田の家老、島の主



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