島左近がやって来てひとつの季節が終わろうとしていたころのこと、

 「左近は存外とろい」と三成は思い始めていた。

 万事に遅いというわけではなかったが、まずは返事が遅い。

 呼びかけてから、ゆうに三拍は置いて応える。

 それでもようやっと返事を寄越したかと思えば、

 「はい、はい、どうしたんです」と何処か間延びしたもの。

 あげく三成を見掛けて近寄ってくる足取りまでが遅い。

 今もまたそうだ。

 登城しようとこうして左近を伴ってきたは良いが、左近の足取りは遅い。本当に遅い。

 いつの間にか足音も遠ざかり、かといって小走りに追いかけて来ようともしない。

 二人の距離はうんと開いてしまっている。

 呼ばずとも意を汲み敏速に動く家臣を善しとし、そのような者ばかりに囲まれた三成にとって、

 島左近のどうにも緩慢な足取りや返事は気になり、気に入らず、苛立った。

「左近」

 いよいよ我慢ならなくなった三成は足を止め、振り返った。

 すると、どうだ。

 左近は三成が思っていたよりも遠くで、

 たまたま出くわしたらしい顔見知りの男といくつか言葉を交わしているではないか。

 思わず強く「左近」と口から声がどっと出た。

 三成の見知らぬ男はびくりと肩を竦め足早に立ち去ろうとしたが、

 左近はそんな男の肩をぽんと叩き、たぶん「悪いね。気になさんな」とでも言っている。

「左近」

「はい、はい、どうしたんです」

 三成が三度呼ぶと、ようやっと左近は返事をし、歩み寄ってきた。

 が、やはり急ぎもしない。

「遅い。とろい」

「はあ。そうですかね」

「おれは急いでいる」

「知ってますよ」

「お前は阿呆か」

「殿」

 左近は三成の横に並び、それだけを言った。

 それだけで左近がなんと言わんとするのか理解した三成はそっぽを向く。

「おれは登城し、次の城の普請を人と話さねばならん」

「知ってますよ、と言ったじゃありませんか。だがその刻にはまだ間がある」

「はやくに行って何が悪い」

「あのね、殿」

 そこで左近は一拍置いた。

「殿はなんでもお早くできる。

 今日だってそうだ。

 城の普請があるからと、朝にほかのこと全てをやってのけ、こうして早くに屋敷を出て来た。

 ねえ殿。登城し、もしまだだれもいなかったらどうするつもりだったんです」

 かんたんだ、と三成は左近に向き直り、応えた。

「おれ一人でも事足りることならやっておく」

 殿なら、と左近は苦笑した。

「殿なら、そうなさるでしょうなあ」

「とどのつまり、お前は何が言いたいのだ」

「そこですよ、殿」

 と左近は三成をじっと見詰めて言った。

「殿。殿はなんでもお早くできる。

 真っ先に閃き、真っ先に思案し、真っ先にやってのける。

 でもね、殿。

 みなが殿のようにできるわけじゃあない。

 いくさだってそうです。

 殿はきっと真っ先に閃き、真っ先に思案し、真っ先にやってのける。

 だれも、敵さんも殿には追いつけない。

 いくさ場にあるのは殿だけになっちまう。

 でもね、殿。敵のないいくさなんてないんです。殿だけじゃあできない。

 気付いていますか、殿。

 殿はつまりだとか何が言いたいだとか何が善い悪いだとか、

 そんな物事の結論だけを急ぐ言葉が少し多すぎる」

 三成は、ぽかんとした。呆気にとられた。

 「そうか」とも「いやそんなことはない」とも言えない。

 ただこの島左近という男の顔がいつの間にか苦しげになっていたことだけが鮮明だった。

 どうした左近。どこか痛むのか。なにがそんなに痛むのか。

 三成がそうは問えない代わりに、左近が言った。苦しげに、だが笑いながら言ってくれた。

「殿だけ、はやい。

 なにもかも、はやい。

 殿だけ、なにもかも、はやいんです」

 三成は、もしここにだれもいなかったなら、この大きな男を抱きしめてやりたいと思った。

 そうして、きっとこの男も、もし三成が石田三成でなかったら、

 ひとり走っていく背を引き留め抱きしめたいと思ってくれているのだろうと、

 そんなことを思った。

「殿。ひとりで、そんなに急がんでくださいよ」

 出来はしないことを「うん」とは応えなかったのはせめてもの誠意だ。



 あれから季節はいくつも終わり、

 あれから左近は度々「お急ぎ召されるな」と三成を諌めたが、

 ついぞぴしゃりと三成に言うこと出来ず、ついぞ治らなかった三成を見限ることもしなかった。

 三成は晴れ晴れと思う。

 真っ先に閃いて、真っ先に思案して、真っ先にやってのけるため、ひとりでも走り出す。

 そんな石田三成の遠ざかる背をきっとあの男は、まるごと愛してくれていたのだ。










ついぞ治らず



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