都から大坂に下った島は足を洗い、体を拭くのもそこそこに石田の屋敷を訪ねた。

 最近石田さまのお屋敷では風邪が大はやりだとか。そういう風に家の者が言ったからである。

 道々、島は石田を思い浮かべた。

 背はあるが、どうも細い。武もあるが、やはりどうもに線が細い。

 加えてよく働く。

 石田は油を節するため夜は早く眠るが、文字がうっすらとでも見える夜明けにはもう筆を持っている。

 そういえば昔から腹が弱いとも聞いた。

 具合いによっては筆を取り上げてやろう。島はそう思いついた。



 ところで島は石田屋敷には裏から入ることにしている。

 ただ裏とはいっても石田の者たちはよく気がつく。

 島が訪ねるとすぐにでも水を張った桶を持って来るのだ。

 だが今日はそれがない。

 はて、と思い今度は表から訪ねた。

 しかしやはりなかなかだれも出てこない。

 奥にはばたばたという足音があるので、人がいないということはないのだろう。

 ようやっとその足音が大きくなったときには、島はもう草履を脱いでいた。

「勝手に上がらせてもらった」

 ぱたぱたとやって来た小姓に告げて、ずんずんと奥へ行く。

 途中奥へ下がっているだろう石田に取り次ぐよう言う。

 しかし小姓は奥には石田はいないと言った。それから歯切れ悪くこうも言った。

「殿は、お台所におられます」



 なるほど、万石持ちの石田治部少輔三成は台所にいた。

 手を赤くして握り飯を握っている。

「殿、殿」

 すっかり石田は寝込んでいるものと思い込んでいた島はさすがに驚いた。

 だが石田はひょいと顔を上げたかと思うと、またすぐに飯を握りながら「左近か」などと平然と言うのだ。

 石田は手際良く、きゅ、きゅ、と米を握りながら目で勝手口を指した。

「人手が足らん。洗い水は自分で汲むんだな」

 言われて左近は桶に水を張った。

 台所の板に腰掛けて足を洗う。

 ちょうどせっせと飯を握る石田の背中が眺められた。

「かぜが大はやりと聞きました」

 島が言うと石田は手を休めることなくすぐに明朗に答えた。

「うん。はんぶんくらい寝込んでおる」

 筆を持っているときも、指揮杖を持っているときも、この人は変わることはないのだと、

 そういうことがじんと染みる。

「で、殿手ずから飯の仕度を」

「寝込んでおるものの世話を働けるもののはんぶんがしておる。

 寝込んでおるものと世話をしてしておるものの分まで残りはんぶんが働いておる。

 すると、その働くものの世話をするものがおらなくなった、そういうことだ」

「殿は、けろりとしてますね」

 ぴしゃりぴしゃりと桶で水が跳ねる。

 まだ痛いくらいに冷たい。そう島は思った。

「左近」

 石田は背を向けていた。

 やはりどうも細い。どうにも線細い。

 だが石田はそういうことには頓着せず、せっせと飯を握っている。

「おれの前にあるのは、細々とした小事だ。おれを過ぎるときも小事だ」

 あの赤い手ではさぞあとで痒かろうと島は思った。

「左近。おれがとまれば、小事がつっかえる。小事がもつれて大事になる」

 だが石田はそういうことに頓着せず、せっせと、けろりと、生きている。

「おれは、小事を小事のままにするのがおれの領分だと、

 とまることなくとめることないのがおれの忠心であると、思っているのだよ」

 とん、と石田は握り飯を置いた。

 どれも石田らしく同じ形と大きさをしている。

 それからまた石田はすぐに櫃に手を伸ばしたが、ふと止まった。

 足を拭いた島も立ち上がったところで止まる。

 だからと言って、と石田が言うのだ。

「だからと言って、おれは、寝込んだものに忠心がないとは、言っておらんぞ」

 と、そう言うのだ。

 手ずから家臣に飯を握りながらそう言うのだ。

 島は思わず温んだ。

 こんな思いだったのだ。とまた柄になくじんとする。

 石田を引き止め、主と定めたあのときも、こんな思いだったのだ。

「どれ、手伝いましょう」

 こんな思いがきっと自分を石田の隣に立たせている。島にはそう分かっている。










みずゆるむ


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