雪踏みの音に左近は顔を上げた。

 今朝早くから降り続く雪に館はしんと冷え、静まっている。

 雪の趣が崩れる。家の者には雪を掃いた庭の端を通るよう言い付けておいた。

 だと言うのに、ざっくざっくと雪を踏む音は奥まで聞こえてくるではないか。

 深い雪を踏んでいるに違いない。誰だ、と左近はいくらか眉根を寄せた。

 庭の趣ではない。館の主の言が行き届いていないのがよくない。腰を上げる。

 誰かを呼び、見に遣るよりも自分で足を運んだほうがはやい。左近はそういう考えをする。

 が、襖を開けると今度はちょうど側仕えが板を鳴らして廊下を渡って来るのが見えた。

 平素しずしずと歩む者である。それが音を立てる様に左近はどうしたと問う。

 彼は左近の傍まで来ると急いて片膝をついた。

「石田様がおみえです」

 濡れ縁に出てみると果たして石田三成がそこにいた。

 庭を見渡せば彼が横切って来たところには規則正しくずぼ、ずぼ、と足の穴が空いている。

 左近は少々呆れた。

「殿。表からお入り下さいよ」

 すると三成は積もった雪を傘から落として閉じる。

 それから肩にもいくらか積もっていた雪をぱっぱっと払った。

「表が雪で濡れるだろうが」

 そうして濡れ縁に腰を掛け、手早く草履と足袋を脱いでしまう。

 それを庭の端を遠回りして来た供の者たちに傘ごと持たせると、

 左近が湯で絞った手拭いをひょいと取り上げた。自ら足を拭う。

 小姓から大名に駆け抜けたこの人はなんでも手ずからしてしまうきらいがある。

 その一方で湯を張った桶を前に両膝をつく左近を胡乱げに見遣って、

「島の左近がそのような真似をするものではない」

 などと言ってくるのだ。

「左近」

 三成は左近が言い返す前に濡れ縁に上がった。それからまだ雪の中に立つ供の者に目を遣る。

「こやつらに温かいものを出してやってくれ」

「そりゃあ構いませんがね」

 左近も立ち上がり、控えていた側仕えを呼び寄せる。

 その間に三成は我が館のように先に立って歩き出してしまった。



「先のいくさの論功行賞で城に詰めていた」

 濡れた袴と羽織りを脱ぎながら三成は言った。

 それでは寒かろうと取りもあえずも左近が着ていた羽織りを渡すと、腕を通す。

 帰るまでに一式を乾かしておくようにと言い付け供の者を下がらせると、

 三成は改めて左近に向き直り、座した。

「だいたいは決めた。だが功の詳しくは前線にいたお前から聞きたいのだ」

「であれば俺が城に登りますよ」

 左近は運ばせた桶の湯につけた三成の両足を見遣った。赤い。軽い霜焼けだろう。

「殿は俺を呼び付ければよろしい」

 と、少々厳しく諫言するが三成はふんと鼻を鳴らす。

 「もう夕暮れだ」と言う。

「お前を呼びにやり、お前が城に登るより、

 俺が帰り際にお前のところに顔を出すほうが余程はやいであろう」

 左近は困った。

 石田三成という人は論がうまい。きちんと詰まっていて隙がない。

 加えて左近と似ているところがある。主と家来では違うと言う前に苦笑をしてしまった。

 その間にも彼は石田家臣団の名を挙げ始めた。先のいくさに出た男の名だ。

 どうやら何かに書きつけるつもりはないらしい。

 あの頭にいくさに出た男たちの名も功も入っているのだろう。

 それから三成が名を挙げ、左近が答えるを十数度繰り返した。

 時折談笑も混じる。戦功の話から敵方や陣形の話に逸れることもあった。

 三成が足をつける湯も何度か取り返させた。

 そうしてその時もこれまでと同じように左近が話の合間に桶に目を落としたのだ。

「冷めたでしょう」

「そうだな」

 三成は浸していた足を上げ手拭いを手繰る。

 左近はやはり先程と同じように側仕えを呼ぼうとして、だが三成に止められた。

 もうよい、と足を拭いながら三成が言うのだ。

「もうよい、左近。いずれ水に、いずれ冷たくなるのだ」

 左近の脳裏に思い浮かんだのは秀吉であった。

 秀吉は九州征伐を経て、いよいよ天下まで一息に駆け抜けようとしている。

 その正室ねねは秀吉と家を盛り立て、健やかである。

 今まさに豊臣という秀吉とねねが興し築いた家はこの時代の栄華を極めようとしている。

 どさん、と雪が落ちた。

 だれかが枝が折れないようにと庭の南天から雪を降ろしたのだろう。

 左近は手を伸ばした。三成の足を取る。ひんやりとしていた。それを両の手で包む。

 「おい」と三成はわずかに狼狽したようだった。

 咄嗟に後ろに手を着き、倒れないようにする。

「なんだ。何をする」

 そう言って左近の手を振り払おうとじたばたする足を左近は離さない。

 そうしていつものごく軽い調子で伝えた。

「殿」

「なんだ」

「左近は冷たくなりません」

 三成は言葉通り受け取るだろう。

 当たり前だ、なにを言っていると機嫌を悪くするかもしれない。

 そも彼が冷たくなると言ったのは湯についてだ。

 だから常の通り、如何にもからかったようで、

 臣としての弁えをわざと少し踏み外した風でかまわないのだ。

 三成は「島の左近がそのような真似をするものではない」とまたぴしゃりと言ったが、

 結局は少し困った顔をして左近を許した。

 それからまた家臣の名を挙げ始める。

 それに答えながら左近は三成の足を擦って温めてやった。

 「くすぐったいぞ」と時折言う三成がいくらか和らいだ顔をする。

 それを眺めながら、左近はひっそりと思う。

 いずれ冷たくなる。石田三成の言はやはり正しい。詰まっていて、ひとつも隙がない。

 そしてそれは左近とよく似ているのだ。そう思う。

 だが冷たくなるまでは、温かく、傍に在りたい。

 まったく軍略家の島左近らしくないことに、そういう思いがこのごろ勝っている。










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