役方と番方の反りは合わない。というのは稀なことではなかった。

 いくさの世から治国の世へ、治国の世からいくさの世へと移り代わる時代の軋みは、

 文官と武官の間に多かれ少なかれ軋轢を生む。

 そうしてそれは豊臣家中も例外ではいられなかった。

 秀吉が天下を平らげていけばいくほどに一度違えた道は離れていくのだ。

 三成はそう知っている。見通している。彼とはまさにそうだった。

「石田殿はかの将に切腹を求めておられるとか」

 番方がこちらへ向かいながら言った。滅多にないことである。

 三成も平生なら出合い頭などに話さない。その上、互いに目もくれない。

 だが今日はひたと見据えた。問われたので答えて言う。

「先ほど、そう決しました」

「どなたも助命を請わなかったのか」

「いえ、私が決しました」

 三成の顔は能面のようであると時折言われる。

 この時も口だけがよく動いた。あとはぴしりとしている。

 それがまた番方を腹立たせるのだろう。

 「かの将は」と番方は語気も強く身を乗り出した。

「かの将は寝返ったと言えど、情に厚く、武に長け、お母上が」

 敵方に、と続くことばを三成はみなまで言わせなかった。

 手にしていた扇で手の平をぱちんと打つ。それで先の評定衆と同様、すぱりと切って捨てた。

「それは評定で何度も聞き申した」

「ではその上で、石田殿は切腹を申し付けられた、と」

 押し殺した声であった。

 だが、「左様」と三成が答えると番方の渋面がみるみる怒りのそれに代わる。

 いくさ場で時に兵を鼓舞し、時に敵兵を退ける大音声で三成に食ってかかってきたのだ。

「石田殿は将ばかりでなく、その主のお家も潰すおつもりか。

 家内のことに他が立ち入ればその家は衰えますぞ」

 しかし三成は腰を抜かしたりはしなかった。寧ろしれっとして言う。

「その上で、切腹を申し付けるのです」

 番方は一瞬ことばに詰まったようだった。代わりに目がぐぐっと開いていく。

 そうしてそのままに吐き捨てた。

「石田殿には士のなさけというものがない」

 しんとして鋭い。狭間より入る陽光だけがのどかであった。

 三成はまたぱちんと手を打つ。

「なさけばかりで世は回りますまい」

 またしんとして鋭い。

 今度こそ、番方はことばをなくした。

 だが、その泳ぐ目がふと三成の後ろに移される。留まったのは島左近であった。

 左近は先ほどから三成の背に控えたまま、口を開いてはいない。

 場の弁えはあるが殊勝な男ではない、と三成は思っている。

 であれば、左近はそもこのやり取りに口を挟むつもりがないのだろう。

 番方は批難めいて言った。

「かの将が潔くいくさ場で自刃しようとしていたところを引き立てたのは島殿と聞く。

 島殿といえば軍略だけでなく、武勇でも名を馳せた、なさけある士ではなかったのか」

 確かに、番方の言う通りのこともあった。

 あのいくさの折、左近は別隊を率いていくさ場に入った。

 そうして寝返った将がまさに自刃を果たそうというとき、刀を奪って縄を掛けた。

 助命のためならまだしも、士が自ら一度定めた死に場を奪い、挙句処断として腹を切れと命じる。

 そういうところに士のなさけがないと番方は言っているのだろう。

 三成にもよくよくわかっている。

 だが、わかった上で切腹を申し付けると決したのだ。

「石田殿も島殿を見倣ってはどうか」

 三成はそう言う番方を、まわりくどい、阿呆だと思った。きっと睨む。

「はっきりとおっしゃればいかがか」

「島殿のように、仕えた主に学ぶといい。そう申しているのだ」

 長宗我部然り、島津然り、徳川然り、三成が仕える秀吉は平らげれば懐に入れてきた。

「此度のことも、秀吉様であればお許しになったであろう」

 そこまでは、三成も口を挟まず聞いていた。

 三成も、そうだその通りだ、と思うところがあったからだ。

 秀吉なら許した。そうだその通りだ。

 秀吉は誰をも懐に入れる。そうだその通りだ。

 そうして今まさにその通りに天下を平らげていっている。異論はない。

 だが、そこまでだった。

 番方が言う。

「石田殿は秀吉さまのなにを見ておられるのか」

 途端、頭に血が昇るのがわかった。

 つい今まで平静であったこころがいともかんたんにぷつんと焼き切れる。

 ぐっぐっと煮え立った理も論もない怒りが腹の中でのた打ち回り、

 禍々しい大蛇のように臓腑をせり上がる。

 珍しく石田三成がかっとなったのだ。

 三成は、貴様、と一歩前に踏み出そうとした。

 手を出すつもりはなかったが、今にも掴みかかる形相であった。

 だが、足は寸でで留まった。袖をついと引かれたのだ。それではっとし、我に返る。

 見遣ると、つい今の今まで黙って控えていた左近であった。

 その左近が三成に代わり前へ出る。

「なるほど」

 左近はゆるゆると顎をさすった。

「秀吉さまは確かにいくさが終われば敵も何もない。懐にお入れになる」

 この男は本当に殊勝ではない、と三成は思う。

 位も齢も、この男が忠節だとか敬意だとかを尽くして払う秤にはならないのだろう。

 それくらい左近は番方にも軽妙に、ずけずけと言った。

 だがその何処かに有無を言わせぬ武人としての佇まいと軍師らしい機知がある。

「さて、処断のことは評定こそいくさ場なれば、今この場で刀を抜くのは無粋じゃありませんかね」

 双方とも刀をお収め下さいよ。

 そう言われる前に三成は怒りを静めていた。

 代わりに左近の背を思った。この背は見たことがある。あのいくさ場で見たのだ。

 左近が乱戦のただ中へ行くと言った、三成が乱戦のただ中へ行けと言った、あの背なのである。

 番方は左近と相対する心積もりまではなかったのだろう。

 また、秀吉の意に沿わないと言われてまで続けるほど無粋者でもない。

 引いて通り過ぎる。擦れ違い様に、やはり互いに目もくれなかった。

 番方の去った、そのあとにはのどかな陽だまりと左近だけが残る。

「失態だった」

 三成はぽつりと言った。

 左近は体ごと振り返る。厳しい顔はひとつもしていない。それどころか鷹揚に笑う。

「ま、たまにかっとなるのも悪かないですよ」

「も、ある」

「とは」

 問われ、三成はひとつ扇で手を打った。左近を越して歩く。

「あのいくさの折りだ。

 俺はいくさ場の端から端まで届くほどの大音声で言わねばならなかったのだ。

 左近。自刃を果たさせるべからず。刀を奪え。縄を掛けよ。引き立てろ。とな」

 三成がそう言う、その後ろで従う左近の足音が珍しく途切れた。










鬼っ面に 三


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