体中がじんと熱い。肌と喉に熱が籠もっている。

 だが、内側はぞくぞくとした。寒気が走っている。布団を幾ら重ねても温まりはせず、寒い。

 おまけに、咳が出た。目眩もある。

 頭痛はそれはそれは酷いものだった。目の奥がぎゅうと締め付けられている。

 悪い風邪を引いたものだ。左近はここ暫くでもう何度めかになる溜息を吐いた。

 ただ、こうも辟易をしているのには、もひとつわけがある。

「あっはっはっは」

 毎朝枕元でこちらの具合とは真反対に軽妙に笑う男がいるのだ。

 石田三成。

 この年若い主は、左近がどうも具合が悪いと下がった翌朝からわざわざ館に立ち寄っては、

 必ず一笑いをして城へと出掛けていく。

 今朝もずかずかと庭から直に上がって込んできて、こうして左近の目の前で扇に顔を埋めてくっくっと喜んでいる。

 働き詰めの三成に散々口煩くしていた左近が先に風邪に掛かったのが、さぞかし愉快なのだろう。

「失礼致します」

 もう片側に控える小姓が額に置いていた手拭いを取り、桶の水に浸す。

 固く絞る水の滴りに重ねて三成はこちらを覗き込んできた。

「今朝は残り雪を拾いながら来たのだ。きんと冷たいぞ、きっと」

 そう言って、またくっくっと笑う。

 平生であれば、こんな小僧みたいな物言いはかんたんにやりこめてやるのだが、今はどうにも頭が回らない。

 思いついた言葉は、つまらないものだった。

「…風邪を引きますよ」

 そんな一言がまずかった。

 切れ長の美しい彼の眸がすっと開く。

 「引いたのはお前だろう」と言う。全くにその通りだ。返す言葉もない。

 仕方なしに熱の億劫も手伝ってだんまりを決め込んでいると、

 彼の良く立つ弁は更にぐさりぐさりと左近の痛いところを刺してきた。

「それに案ずることはないぞ、左近。おれはお前よりもずっと若いのだよ」

 だの、

「その様、鬼の面目がまるでないな、左近」

 だの、

「それでは、桃のわらべの何某にもかんたんに退治されてしまうのではないか。あっはっはっは」

 だの、水を得た魚の如く、よくもまあ次から次へと、と日頃三成を恨む者どもの気持ちが今は分からなくもない。

「さて、おれは城へ行くとするか」

 言うだけ言ったらしい三成は、もう一笑い「はっはっは」と笑って腰を上げた。

 そうして左近の応じは一切待たず、「ではな」といともあっさりまた庭で草履を突っかけて出て行ってしまう。

 確かにきんと冷えている。

 こちらに体を起こす間も与えず去った三成の背をなんとか見届け、左近は額の手拭いに手のひらを乗せた。




 ひとつ、ふたつ。

 みっつに、よっつ。

 いつつめは、なかなかない。

 障子から差し入る朱と橙が織り混ざった明るい夕日に三成は瞼を下ろした。

 そこで五つめの咳が背後のぴしりと閉ざされた襖越しに微かに聞こえる。

 とはいえ、一昨日よりも昨日、昨日よりも今日は、咳が少なくなっている、と三成は思った。

 間違ってはいない。昔から数えることには長けている。

 だが、むっつめはなかった。

 咳が途切れる。

 代わりに、背を向けたところがすっと冷えた。

 首筋に扇の親骨が添えられる。

 三成は眸だけ開いた。

「ふん、漸く気が付いたか」

 やはり具合は随分と悪かったのだろう。

 三成が朝だけでなく、帰りはそろりと立ち寄っていたことに熱の引いた今日、左近はようやっと気づいたらしい。

 肩の上の扇を手で払う。

「引け。おれは桃のわらべ何某かではないぞ」

 そう言って体ごと振り返ると、左近は小袖のまま三成の前にしゃがんでいた。

 立てば大きいこの男と今はほぼ真っ直ぐに目が合う。

 その目が人懐っこくにっと笑った。

「いいえ、お忘れ物ですよ」

 改めて差し出されたのは、三成が今朝か昨日に忘れた扇であった。

 だが受け取らず、訊ねる。

「大事ないか」

 すると左近は居住まいを正した。

 そうすれば、たとえ座していようとも、あっと言う間に大男になってしまう男だ。

 けれども、きちんと人の礼節を弁えた男だ。

 三成の鬼だ。

 深く頭を垂れる左近の所作が美しい。

「勿体ない、おれには過分なお言葉だ。どうもご心配をお掛けしちまいましたね」

「ならばもうよい」

 三成は二人の合間に置かれた扇を拾い上げた。

 次いで腰を上げる。長居はいつもしていない。

 だが、

「そういえば、左近」

 ふと言っておきたいことを思い出し、足を止めた。

 顔を返すと、左近はもう足を崩している。ただ咎めることではない。

「おれは桃のわらべ何某かではないぞ」

 それどころかおれは鬼だ、と言ってやれば、けれど左近は初めから全て承知をしていたように頷いた。

「なるほど、それで世の人からはこれでもかと嫌われ恐れられておいでなのか」

「ああそうだとも。左近。左近がいくさ場の鬼といわれるのなら、その主のおれも鬼だ、鬼の頭領だ」

 それから三成は、この男にしては珍しく「あっはっはっは!」と笑った。

 針の山も血の池も、これから踏み入る地獄がどれほど悪辣な処だろうとも、鬼の主従だ、恐れるものは何もない。

 何もないのだ。

 「あっはっはっは!」とまた笑う。










いざ、おにがしま!


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