時代はいよいよ織田の殿様が天下にあと二手一手という頃のこと、

 西方中国攻めの陣中、羽柴秀吉は先頃淡路攻略を終えたばかりの石田三成を傍に呼ばわって他には人払いを言い渡した。

 二人きりで相対するこの石田三成という若人、元は近江の地侍の出で、

 寺小姓をしている時分にその利発さを買って秀吉が側仕えの小姓として召し上げた。

 その時の名を佐吉という。三成と改めさせたのはそう昔のことではない。

「淡路のこと、見事、見事。これで岩谷も落ちた。あとは高松よ。なあ三成」

 早速労うが、この三成、こういった時の可愛いげがない。まったくない。

 我が身の才気を知った上で、其程のことはさもありなんと言わんばかり取り澄ました顔をこれっぽっちも崩そうとはしない。

 大威張りをするのでは困ったが、何を言っても顔色一つ変えないのでは周りの不興も随分なものだろう、

 とは秀吉も聞き及んでいる。

 今もまた己の戦功はさておき、

「兵糧が」

「米の買い上げ金が」

 などと頭の中をすらすらと取り出して述べている。

 秀吉は「こりゃいかんなあ」と眉尻を下げた。

 それで三成は元は側仕えの小姓らしく、「いけませんか」とぴたりと言葉を止めた。

 秀吉は大仰に頷く。

「ああ、いかんいかん。三成そりゃあいかんわ」

「そうですか。わかりました。では、早速資金の調達に」

「の前にじゃ、」

 すぐさま秀吉の前を辞そうとした彼を慌て引き留め、座らせる。

「三成、おまえ、嫌われとるようじゃの」

 聞いとるぞお、と言ってみる。

 この時になってようやく三成は「ああ、そのことですか」と口許をへの字に曲げた。

 なんと言われたのかと促せば、「虎の威を借る狐め、と」と言う。

「で、おまえはどうした」

「こてんぱんにしました」

「こてんぱんにか」

「はい、こてんぱんに言い負かしました」

 秀吉が見抜いた弁のよく立つ男だ。

 その三成がこてんぱんにしてやったと言うのだから、相手の腹はさぞや煮え繰り返っていることだろう。

 この男の話はいずれは奉行に重用しようと思うほど理路整然として、鋭く隙がない。

 かんかんと責め立てられれば、余程の度量でない限り、わなわなと立ち尽くし震えるしかないのだ。

 それにしても、「こてんぱん、か」秀吉はくかかと笑った。愉快愉快と扇で顔を仰ぐ。

 それからその扇の先で彼をぴしりと指した。

「三成、そういうときは笑うんさ」

「笑う、のですか」

「そうさぁ。狐の後ろにおるんは虎ではないぞ。猿じゃ、猿。おまえらは猿が怖いんかと笑ったれや、なあ三成」

 秀吉はうひゃひゃと笑って見せた。

 威張った猿とその前にちょこんと狐。何が怖いものか。あな愉快、あな愉快。扇でうひゃうひゃと手のひらを打つ。

 それから、ふと笑いを引っ込めて「だがな、三成」と言った。

「だがな、三成」

「はい」

「わしに仕えておれば、虎だろうが猿だろうが、おまえはその謗りは受けにゃならん」

「はい」

「だからな、笑ってやるんさ。

 笑ってやりながら、だがその中で、虎でもなく猿でもなく、狐の才知を好いてくれる者を見つければええ」

 鼻つまみ者の狐をただの一人でもあいしてくれるおとこを探し出せばええ。

 秀吉の言葉に、三成は、この男にしては殊勝げに秀吉をじっと見詰めた。

「その様な者がいるのでしょうか」

 訊ねる。

 それに応えて、秀吉は腰の小刀を三成の前へ置いた。それから三成と呼ぶ。

「わしがもし今から庭の黒猫を斬って来いと言ったら、おまえはどうする」

 三成は居住まいを正した。それでなくともしゃきりと伸びた背筋がまた凛と鳴る。

 しかし、三成は小刀に手を付けなかった。

「秀吉さまに利するところが理に叶ってあるのならば今すぐ行って斬って参りましょう」

 と言う。

 ならば、あると思うのかと訊ねると、今度はもっときっぱり三成は「いいえ」と答えた。

 挙げ句、理のない利の不益をとうとうと語り、

 さてところで秀吉さまは黒猫を斬るのにどのような利があるとお考えかと気強く問い返される。

 最中、秀吉は三成にこてんぱんにされたという者を心から哀れんだ。ああ、こりゃたまらん。

 小刀を横に放る。

 畳んだ扇をはたはたと振った。

「もおええ、もおええぞ、三成。だがな、ほら、おったじゃろ」

「何がいたのです」

「虎も猿もない怖いもの知らずが、おったじゃろ」

 にっかり笑う。

 三成は目をしばたかせた。

 その間にそうじゃそうじゃとひとつ思い出す。

「そういや三方ヶ原にもおったぞ」

「怖いもの知らずが、ですか」

「そうさぁ、このわしを主には相応しくないと袖にしおった奴がおったんさ。

 おんなに袖にされるのは慣れとったが、まさかおとこにされるとは思ってもみんかった」

 またうっひゃっひゃと笑う。

 三成はふんと鼻を鳴らした。

「随分と不遜の輩ですね」

 秀吉はその様その言い分をいつかはそれそっくりそのまま返されるぞと密かに笑ったが、

 そうであるからこそ、この石田三成を傍近くに置いているのだとも思う。

 はいと言うだけの賢しい狐は要らない。

 秀吉は酒を引き寄せた。ちょいと呷る。

「ところで、三成」

「何でしょう」

「おんなのくだりは、ねねには内緒じゃからな」

 すると、この男、今日はじめて相好を崩した。

 ふふ、と控えめに笑うところなんかはなかなかに可愛いんさと秀吉は思っている。










きつねの婿取り


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