はやり唄にも謡われる立派な五層の天守のその麓、

 石田の屋敷を島が訪ねたのは、日も傾き一日が暮れ始めた夕刻のころのことだった。

 はて、と思う。

 この屋敷の者どもは主を見倣って常ならばきびきびとしているというのに、この夕はどうも静かだ。

 しんとして、誰もが息を潜めている。

 兎も角、島は大仰な迎えを断り、濡れ縁を渡って気安く石田の居室を覗いた。

 声を掛けなかったのは、はじめから風を招くため戸が開かれていたからだ。

 しかし、かなしきかな、望む風は今はない。

「左近か」

 石田は島の来訪を気にかけなかった。それよりは、室の一面に敷いた町割りの図に熱心だった。

 しゃきりと背を伸ばし、しかしじっと見つめているかといえば、そうでもない。

 石田の両の眼は外の誰そ彼を写し取っているかのように滅多になく茫としていた。

「大坂ですな」

 島は石田の向かいに座して言った。それでようやく石田に鋭さが戻る。ああ大坂だ、と答えた。

 石田という男はいくさもするが、町を興して均す奉行だった。博多も堺も長く見つめてきた男だった。

 この一面の図はそういう石田が描き写させたものだろう。

 伏見に詰めることの多かった石田だが、大坂は彼が長く仕え支えた太閤殿の愛した町だった。

 島もまた石田に倣って町を見る。

 すると、石田は徐に抜いた腰の扇で町割りを示した。とんとんと軽妙な音が鳴る。

 そうして滔々とうれしげに話し始めたことは、大坂の様々あれこれだった。

 曰く、この地はどうの、あの地はどうの、

 測り好き石田らしい話振りと扇の先が辿る懐かしい道々に島もかつてこの男と歩いた豊太閤の町を思い出す。

「町はよいな、左近」

 そう折々言う石田が特に力を込めたのは、水の路、しもの水路のことだった。

 大坂には人々らの使用した水を流す路がある。

「…町はよい」

 ふと島を誘った石田の扇の先が止む。

 島が顔を上げると、石田の目はやはり町割りの図に落とされていた。

「秀吉さまはお隠れになったが、

 秀吉さまがおつくりになった町は、大坂は、おれやお前がいなくなったあともずっとある。

 秀吉さまがつくられたこの道が、この水路が、この先々まで大坂を富ませるのだ」

 そうだろう。島は思った。

 町も城も石垣も、それからそれらをぐるりと廻る三重の堀も、

 世に名高い軍略家島左近の知略をもっても難攻不落の総構えだ。

「百年二百年の町ですな」

 島はわざと少し小さく言った。

 石田はたぶんそれを心得ていただろうが、心得た上で島の言に「なんのなんの」と喜んだ。

「三百年四百年の町と城だ」

 そう言って、開いた扇に顔を伏せ小僧のように「あっはっはっ」と笑うこの人は、

 豊太閤が去った後もてきぱきとしゃきしゃきと真っ直ぐに働いたこの人は、十二分に哀しんだろうか。

 ふと島の胸に過ぎたのは、そういう思いだった。

 石田屋敷の今日の静寂を思う。石田に仕える者ども男も女も、侍も飯炊きも、音を立てる者など一人もいない。

 よき主従だ。

 島は顔を隠したまんまの石田を見ずに下を見た。町割りの図をじっと見た。

 よき主従なのだ。

 太閤殿と石田も、石田とこの屋敷で石田に仕え立ち働く者どもも。

 石田の傍らには時にこの世のたいそう美しいものが寄り添っている。

 ほかになんと謗られようとも島にはそう思えてならない。

 そうして島もまた過ぎたる者と謡われる石田の一の家臣だった。

 今度は島が腰に差した扇を引き抜く。

 とんと石田のように、だがなるべくゆるりと大坂を、石田が慕って愛した太閤殿の町を辿った。

「然らば次はこの左近がしばし殿の手を引きましょう」

 扇の向こうで石田がうんと頷く。

 頷いてひとつのみ震えた。

「左近」

 はい、と応える。

「なにわの夢はまだ終わってはいないのだよ」

 石田の水がほとりほとりと水路に落ちる。










ゆめのまたゆめ


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